OpenAI は自社のニュースページで、ナビエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさに関する問題 — クレイ数学研究所が定めたミレニアム懸賞問題のひとつ — を自社モデルが解決したと発表した。発表にあるのは結論である。証明そのものは、まだ誰も見ていない。
そして同じ日、同社はもうひとつの発表を行った。数学分野の諮問グループの設置である。名を連ねたのは9人のトップ数学者で、その多くはこれまで同社の手法や主張に対して公然と批判的な立場を取ってきた人々だ。報酬は支払われない。
宣言はあった。証明はまだ誰も見ていない
数学において「解いた」という語は、通常は検証可能な対象を伴う。論文であれ、形式化された証明スクリプトであれ、少なくとも第三者が一行ずつ追える議論の筋道であれ、他人が間違いを指摘できる形で差し出されて初めて、主張は主張として成立する。今回の発表には、そのいずれも付随していない。
これは企業の公式発表であり、その意味で一次情報である。OpenAI が「解決した」と述べた事実は動かない。動かないのはそこまでだ。述べられた内容が正しいかどうかは、現時点で誰も確かめていない。発表が一次情報であることと、発表の中身が真であることは別の問題である。
クレイ数学研究所が懸賞に定めた条件は、この距離を制度として明文化している。世界的に評価の確立した査読誌に掲載されること。そして掲載後、二年間にわたって数学界に受け入れられ続けること。賞金を出す側は最初から、宣言ではなく時間と検証を要求しているのである。
同じ日、9人の批判者が無報酬で迎え入れられた
二つの発表が同日に並んだことは、偶然として処理するには構図が整いすぎている。片方には、検証されていない主張がある。もう片方には、その主張を検証する能力を持つ人々の名前がある。後者は前者を検証していない。ただ、隣に置かれている。
迎え入れられたのが、これまで同社に批判的だった数学者たちであるという点が効いている。批判者が名を連ねているという事実そのものが、外部からは一種の審査を通過した印に見える。だが諮問グループへの参加は、特定の証明への署名ではない。名前が貸されたのは組織に対してであって、命題に対してではない。
無報酬であることは、通常なら中立性の担保として語られる。ここでは逆向きにも働く。金銭的な結びつきがないぶん、参加者の名前はより純粋な信用として機能してしまう。調達されたのは労働ではなく、権威である。
称賛は証明より先に到着していた
時系列を並べると、この構図はさらに鮮明になる。テキサス大学オースティン校の計算機科学教授 Scott Aaronson は、自身のブログに9月15日付でこう記した。
途方もない予言は実現した。人間の数学者は永久に王座を追われた。
ここで注意したいのは日付である。この一文は、証明が公開されるより前に書かれている。Aaronson が読んだのは証明ではない。彼が反応したのは、AI が数学の最前線に到達しつつあるという時代の空気と、そこに置かれた宣言そのものに対してだ。人間の数学者が王座を追われたと書かれた時点で、王座を奪ったとされる証明を、まだ誰も検分していなかった。
称賛が証明に先行する。この順序こそが、今回の一件の性格を示している。検証の完了を待たずに評価が確定していく空間では、企業が提出すべきものは証明ではなく物語で足りてしまう。
数学を生産ノルマに変える、という警告
同じ空気に対して、逆の向きから警鐘を鳴らしていた人物もいる。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の数学教授でフィールズ賞受賞者の Terence Tao は、自身のブログに9月12日付で書いている。
無差別な AI 利用は、数学を無意味な生産ノルマのゲームに変えてしまう。
Tao が問題にしているのは、AI が数学を解けるかどうかではない。解いたと数えることが何を壊すか、である。数学の価値は解決済みの命題を積み上げた総量ではなく、その解決が他人に検証され、理解され、次の問いに接続されていく過程にある。生産ノルマのゲームに変わるというのは、その過程が成果の計上に置き換わるという意味だ。
証明を出さずに解決を宣言し、その隣に数学者の名前を並べる。これは Tao が名指した変質の、最も分かりやすい実例になっている。数えられたのは一件の解決であり、省略されたのは検証である。
検証の不在を埋めるものは、権威ではない
この記事が指摘しているのは、OpenAI の主張が誤りだということではない。誤りかどうかを言える材料が、まだ誰の手にもないということである。ナビエ・ストークス方程式が本当に解かれているのかもしれない。その場合でも、証明が公開され、査読を通り、数学界が二年をかけて受け入れるまで、それは解かれた問題ではなく、解かれたと主張されている問題であり続ける。
企業にとって、この二年は長い。だからこそ、待つ代わりに別のものが用意された。批判者9人の名前である。だが名前は証明の代替物ではない。9人が参加を決めたことは、彼らが証明を読んだことを意味しないし、読んで納得したことを意味しない。
検証の不在を埋められるのは検証だけだ。それ以外のもので埋まったように見えるとき、埋まっているのは穴ではなく、穴が見える角度である。

