EUの人工知能規則(AI Act)は8月2日、欧州委員会が汎用AIモデル提供者に対して実際に強制力を行使できる「執行フェーズ」に入った。同時に、Digital Omnibusと呼ばれる簡素化パッケージによって高リスクAI義務のタイムラインが再び後ろ倒しされ、規制の厳格化と緩和が同時進行する「二正面」の様相を呈している。
執行権限の実像:罰金3%とモデル事前評価権
8月2日に発効した権限により、欧州委員会(AI Office)はモデル提供者に対し公開前の安全性評価を要求し、是正措置を命じ、EU市場からモデルを排除し、さらに年間総売上高の3%または1500万ユーロのいずれか高い方を罰金として科すことができるようになった。技術主権・安全・民主主義担当の欧州委員会副委員長ヘナ・ヴィルクネン氏は「AIが適切に設計・利用されなければ被害が生じ得る。最も高度なモデルはこれまでにない規模のリスクを生む」と述べている(CNBC)。AI Officeは既にCode of Practiceの策定、AI Act Advisory Forumの設置、FAR.AIやEpoch AIといった外部評価機関との連携を進めており、制度的な準備は整っているとされる(The Parliament Magazine)。
Digital Omnibusによる同時緩和:高リスク義務は2027年末へ
2025年11月19日に欧州委が提案したDigital Omnibusは、2026年5月7日に理事会と欧州議会の間で暫定政治合意に達した。これはAI Act採択(2024年6月)以来初の実質的な改正であり、附属書III対象の単独型高リスクAIシステムの義務適用は2027年12月2日、製品に組み込まれる安全部品型(附属書I)は2028年8月2日へとそれぞれ延期された(Stibbe)。加盟国に義務付けられていた国内規制サンドボックス設置も2026年8月2日から2027年8月2日へ1年延期された(Inside Global Tech)。欧州委はこの延期を「規制の後退ではなく実装上の調整」と位置づけ、標準や支援ツールの整備を待つ必要があると説明している。
新規禁止事項とwatermarking猶予
Digital Omnibusは緩和一辺倒ではない。2026年12月2日からはAI Act第5条が改正され、本人の明確な同意なく性的な深度合成画像を生成・改変するAIシステムおよび児童性的虐待素材(CSAM、指令2011/93/EU定義)を生成・改変するAIシステムの市場投入・使用が新たに禁止される。一方、第50条に基づく透明性義務のうち、生成AIの出力に機械可読な電子透かしを付ける義務は本来2026年8月2日開始だったが、既に市場に出ているシステムについては2026年12月2日まで4か月の適用猶予が設けられた(K&L Gates)。
高リスク分類ガイドラインとアイルランドの先行実装
欧州委員会は5月19日、高リスクAIシステムの分類に関する指針の草案を公表し、分野別の判断基準と具体的な事例を提示した。KPMGアイルランドはこれを「規制の期待から実務的な実装・執行準備への転換点」と評価している(KPMG)。加盟国レベルでもアイルランド政府は6月17日、AI規制法案(Regulation of Artificial Intelligence Bill 2026)の公表を承認し、国内調整機関Oifig IS na hÉireann(アイルランドAIオフィス)を設立、市場監視当局に調査・制裁権限を付与する枠組みを整えた。AI Act自体に新たな義務を追加するものではなく、国内執行体制の確立を目的としている。
米企業との摩擦と業界への影響
執行権限の発動は、Anthropic、OpenAI、Googleといった米AI大手への監視強化と直結する。ロイター報道によれば、EUはOpenAIおよびAnthropicのモデルによるサイバー攻撃関連事案を受けて両社と協議を開始しており、OpenAIはAI Officeとの接触を認めている。EUはまたAnthropicの「Mythos」モデルへのアクセスを数か月にわたり求めていたとされる。Googleは7月に別件で10億ドルの制裁金を科され、トランプ米大統領がEUへの「相当規模」の関税を警告する事態にもなっており、AI Actの執行が米欧間の新たな摩擦点となる可能性がある。EUは技術主権確立を急ぐ一方で、規制対象企業の多くが米国籍という構造的緊張を抱えたまま執行フェーズに突入している。




