AI を入れて人件費を削ろう、という動きに対して、使う側の経営者の団体から警告が出た。Irish Times によれば、アイルランド最大の経営者団体 Ibec の最高経営責任者 Danny McCoy は10月21日、短期の費用を削るために AI を急いで入れる流れを「熱狂」と呼び、長い目で見ると危ういと述べたという。
こうした警告は、ふつうは労働組合から出る。今回は、雇う側を代表する団体のトップが言った。報道によれば、McCoy の言いたいことは2つある。1つは、社員に頼っていた会社が、AI 企業に頼る会社に変わるだけかもしれないこと。もう1つは、人件費を削って浮くはずの利益が、自社に残らず巨大テック企業に流れるかもしれないことだ。本紙は、この警告はおおむね正しいと考える。以下でその理由を述べ、有力な反論にも触れる。
経営者の側から出た「熱狂」という言葉
McCoy は、いまの空気をこう言い表したと報じられている。
I think there's been a bit of a mania towards AI.
訳: AI に向かって、ちょっとした熱狂が起きていると思う。
彼は AI の導入そのものに反対しているわけではない。問題にしているのは、目的が短期の人件費削減に絞られていることだ。導入の理由が「人を減らせるから」だけなら、減らした人の代わりに何を抱え込むのかを考えないまま進んでしまう。報道によれば、McCoy は経営者に次のように問いかけた。
Are you sure that you're not actually replacing a dependency on your employees with a dependency on AI?
訳: 社員への依存を、AI への依存に置き換えているだけではないと言い切れるか。
「依存」という言葉の選び方が大事だ。社員を雇っている会社は、社員の技能や交渉力に頼っている。人を AI に置き換えても、何かに頼っていることは変わらない。頼る相手が、社内の人から、社外の数社の AI 企業に移るだけである。
値段と条件を決めるのは誰か
この依存の中身は、ここ数週間の AI 企業の動きを見るとよく分かる。値段も、使える量も、売る側が決めて、売る側が変えている。
OpenAI は9月29日の DevDay で月500ドルの新しいプランを出した。同時に、月200ドルの Pro に新しく入る人が使える量を、Plus の20倍から10倍に減らしたと報じられている。Google は、Gemini の無料枠を10月9日から Flash-Lite だけにしたと伝えられた。どちらの変更にも、利用者との交渉はない。社員の給料は、本人の同意なしには下げられない。AI の利用条件は、売る側が告知を出せば変わる。
単価だけでは費用が分からない、という問題もある。Anthropic の Claude Haiku 5.5 は、100万トークンあたりの値段で見ると安い。ところが第三者の Artificial Analysis の測定では、1つのタスクに約16.2万トークンを出力し、GPT-6 Luna の約3倍を使った。値段表は安く見えても、請求書は安くならないことがある。人件費は予算で見通せる。AI の費用は、使った量に応じて払う従量課金に変わりつつある。これは費用の見通しを売る側の値付けに預けることを意味する。
McCoy の2つ目の論点、つまり利益の行き先の話もここにつながる。人件費として社内に払っていたお金が、AI の利用料として数社の海外企業に払われるようになる。会社の利益率が上がるか下がるかは、AI 企業が値段をどう決めるかで変わる。Ibec の地元アイルランドは、米国の大手テック企業の多くが欧州の拠点を置く国だ。そのアイルランドの経営者団体が「利益はテック企業に流れるかもしれない」と言ったことには、それなりの重みがある。
生産性はまだ証明されていない
依存が増えても、その分だけ生産性が上がるなら損はない。McCoy はその前提を疑ったと報じられている。
The jury is out on both of those things. So are you sure you're getting the productivity?
訳: (生産性と利益の)どちらもまだ結論は出ていない。本当に生産性は上がっているのか。
外部の検証も、この疑いを支えている。Epoch AI は10月8日、自社の実際の業務11件を6つのモデルにやらせた結果を出した。範囲のはっきりしたコーディングや分析はこなせた。しかし、答えの決まっていない判断と、組織の基準に沿った仕事は、どのモデルもできなかった。欠陥のある結果を、意味のある発見として報告したモデルもあった。人を減らした後に残るのは、まさにこの判断の仕事である。それを確かめる人まで減らせば、生産性が上がったように見える数字を、誰も確かめられなくなる。
有力な反論:値段は下がり、乗り換え先もある
反論も強い。1つ目は、AI の値段が下がり続けていることだ。Epoch AI の分析では、一定の性能を得る費用は2023年以降、四半期ごとに約47%下がっている。依存が深まっても、払う額は年ごとに小さくなるかもしれない。
2つ目は、乗り換えの道があることだ。社員1人を入れ替えるには、採用と育成に時間がかかる。AI のモデルは、API の設定を変えれば別の会社のものに替えられる。重みを公開したオープンウェイトのモデルも増え、手元で動かす道もある。手順の知識を持たせる Agent Skills の規格は、Anthropic が10月22日に Linux Foundation 傘下の中立の団体に寄贈した。こうした標準が中立の場に置かれるほど、特定の1社に縛られにくくなる。この見方に立てば、AI への依存は社員への依存より弱い、とさえ言える。
本紙は、この反論を半分だけ認める。値段の低下と乗り換えのしやすさは本物だ。ただし、それが効くのは、買う側に「どのモデルが自社の仕事に合うか」を見きわめ、乗り換えを実行できる人がいる場合だけである。オープンウェイトは、閉じたモデルよりサイバー能力で6〜7か月遅れていると Epoch は見積もっている。最前線の能力が必要な仕事では、選べる相手は今も数社しかない。人件費を削るために社内の技術者や判断する人を手放した会社は、乗り換えの交渉力そのものを手放すことになる。
揺り戻しと、それでも残る問い
McCoy は、置き換えができること自体は認めたうえで、その進み方に疑問を示したと報じられている。
We can replace people with AI. But this kind of thing won't be linear, and I think there is a kind of a rollback.
訳: 人を AI に置き換えることはできる。だが、こういうことはまっすぐには進まない。ある種の揺り戻しが起きていると思う。
揺り戻しの中身は、報道からは詳しく分からない。ただ、人を減らしすぎた会社が後から人を戻すことになれば、その費用は最初の削減より高くつくかもしれない。気になる数字がある。Anthropic は10月16日、自社の新規採用に占める若手の技術職が27%から9%に落ちたと公表した。AI を最も使いこなしている会社でさえ、若手を育てる入り口を細くしている。どの会社も同じことをすれば、数年後に AI の出力を確かめ、モデルを選び、値段を交渉できる中堅の人材が足りなくなる。
本紙の結論はこうだ。AI の導入は正しい選択になりうる。しかし、その目的を人件費の削減だけにした時点で、経営者は値段と条件を決める力を社外に渡すことになる。McCoy の問いは、AI を使うなという意味ではない。AI を使っても、会社の中に判断する人を残しておけ、という意味に読むべきだ。社員への依存を減らすこと自体は悪くない。悪いのは、減らした分だけ、自分では値段を決められない相手への依存が増えることである。




