政府は、人工知能(AI)や半導体をはじめとする「戦略17分野」の人材確保に向け、内閣官房に省庁横断の新組織「リスキリング・人材確保推進会議」を設置する調整に入った。厚生労働省、経済産業省、文部科学省を中心に17分野を所管する各省庁が参加し、今夏に取りまとめる成長戦略に具体策を盛り込む方針だ。ビジネス+ITと読売新聞の報道によれば、対象となる17分野はAI・半導体を筆頭に、造船、量子、合成生物学、航空・宇宙、デジタル・サイバー、コンテンツ、フュージョンエネルギー、創薬・先端医療などが含まれる。政府がこれほど広範な分野を一つの司令塔で束ねる体制を打ち出すのは異例で、背景には人材獲得競争の激化と省庁ごとの縦割り施策が成果を上げてこなかったという反省がある。
省庁縦割りを排し推進会議が司令塔に
これまで分野ごとに個別対応してきた各省庁の施策を統合し、内閣官房が司令塔機能を担う点が今回の目玉だ。新会議は産学官のニーズを統合し、実践的で質の高いリスキリングプログラムを国が公式認定する新制度の創設も検討する。特にAI・半導体の融合領域では、ロボットなど物理環境で動作するAIを扱う「フィジカルAI人材」の育成が最重要課題の一つに位置づけられている。関係者によれば、認定制度は単なる講座リストの整備にとどまらず、修了者のスキルを企業が採用・処遇の判断材料として活用できる仕組みを目指すという。これまで各省庁が別々に発注してきた委託事業の重複を解消し、限られた予算を重点分野に集中投下する狙いもある。
受講費最大8割給付、雇用保険財源で検討
日本経済新聞によれば、高市早苗政権は戦略17分野の人材育成講座を新設し、受講費の最大8割を雇用保険財源から給付する仕組みを検討している。既存の支援策も拡充されており、補助金ポータルによると、2025年10月開始の「教育訓練休暇給付金」は在職中に30日以上の無給休暇を取得した場合、賃金の5〜8割を最大150日分支給する。人材開発支援助成金の「事業展開等リスキリング支援コース」も令和8年度に対象訓練を拡充し、経費助成は実費相当額の75%(中小企業以外60%)、賃金助成は1人1時間あたり1000円(中小企業以外500円)に加え、AI機器やDX関連機器の導入と研修をセットで行う場合の「設備投資加算」が新設された。ただし人への投資促進コースは令和8年度限りとされ、継続は未定という。企業の担当者にとっては、既存助成金と新設給付制度が併存する期間中に申請の優先順位を見極める実務対応が求められる局面だ。
大学連携は拡大も企業の9割が課題を実感
経団連タイムスが伝えた文部科学省の説明によれば、2025年度は「産学連携リ・スキリング・エコシステム構築事業」を通じ、地方創生や産業成長に資するプログラムを提供する大学に1カ所あたり4000万円を補助している。骨太方針2024・2025では2029年度までの継続方針も明記された。一方で、多くの企業がリスキリングを経営上必要な投資と認識しつつも約9割が導入時に課題を感じており、成果を処遇に反映する仕組みの整備が遅れている。大学側も学部教育にリソースが集中し、社会人向けプログラムは地域貢献の位置づけにとどまりがちで、事業の持続性が課題となっている。政府試算では2040年に約200万人の労働力不足が見込まれるが、企業の人材投資や社会人の社外学習、大学の社会人受け入れはいずれも諸外国より低調とされる。国際比較では、社会人の学び直し参加率が経済協力開発機構(OECD)平均を下回るとの指摘もあり、給付拡充だけでなく学習機会の可視化と職場復帰後の評価制度の整備が同時に問われている。
437万人余剰と339万人不足、埋まらないミスマッチ
EY Japanが紹介した経済産業省「2040年の就業構造推計(改訂版)」によれば、AIやロボット等の利活用を担う人材が約339万人不足する一方、事務職では約437万人が余剰になると見込まれている。一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブの後藤宗明代表理事は、事務職からAI・ロボット関連の専門職への転身は容易ではないと指摘し、育成(Build)・採用(Buy)・外部委託(Borrow)に自動化(Bot)を加えた「4Bs」フレームワークによる戦略的人員計画の必要性を説く。若手ではスキルの低下や「経験の空洞化」が懸念される一方、中高年層にはリスキリングによる労働寿命の延伸(ロンジェビティ・スキル)が期待されるという二面性も示された。両者の数字を単純に差し引きしても解消されない構造的なミスマッチであり、政府が旗を振るだけでなく個別企業が社内人材の再配置計画を持つことが不可欠だとの見方が業界内で強まっている。
ダボス会議から続く世界的潮流と今後の焦点
HRプロによれば、リスキリングの世界的な必要性は2020年1月の世界経済フォーラム(ダボス会議)で提示され、2030年までに世界で10億人を支援するプログラムが打ち出された。日本政府も少子高齢化とデジタル人材不足への対応として5年で1兆円をリスキリング支援に投じる方針を掲げてきた経緯がある。今回の推進会議新設と給付拡充は、この流れの延長線上にありつつ、省庁縦割りの解消と成果の可視化という長年の課題に踏み込む試みといえる。今夏の成長戦略でどこまで具体的な認定制度と評価指標が示されるかが、実効性を左右する焦点になる。企業の人事担当者や教育機関の関係者は、給付制度の申請要件や認定基準の詳細が明らかになる今後数カ月の動向を注視する必要があるだろう。
