ケベックの出版社 Éditions du Boréal(ボレアル社)が、作家 Thélyson Orélien との仕事上の関係を打ち切ったとRadio-Canada や France 24 が報じている。理由は、デビュー小説『C'était ça ou mourir』を書く過程で人工知能が使われたことを確かめたから、とされる。ちょうど1週間前、同じ版元の共同代表は、AI の疑いを向けられた作家を公にかばっていた。
この1週間で何が変わったのか。報道を並べると、変わったのは AI の使い方についての知識ではない。作家の言葉の重みだった。論者の立場をはじめに書いておく。ボレアル社は最後まで「AI をどれだけ使ったか」を示していない。それでも作家を切ったのは、「使っていない」という言葉がくつがえったからである。AI の時代の作家性の線は、機械の判定でも文章の中身でもなく、作家の申告に引かれた。そして論者は、この線がいま取れる中で最も筋が通っていると考える。
10月14日:版元は「機械より人の言葉」を選んだ
疑いが出た時点で、ボレアル社の共同代表 Renaud Roussel ははっきりした態度をとった。Radio-Canada の報道によれば、Roussel は次のように述べている。
Aujourd'hui, nous avons une machine qui a produit des résultats, une machine dont la fiabilité est souvent remise en question, et nous avons la parole d'un auteur. Entre les deux, entre la machine et l'auteur, je choisis la parole de l'humain.
訳: いまここには、結果を出した機械がある。信頼性がしばしば疑われている機械だ。そして、作家の言葉がある。そのあいだで、機械と作家のあいだで、私は人間の言葉を選ぶ。
ここで「結果を出した機械」と呼ばれているのは、作品に AI が使われた疑いを示した何らかの判定とみられる。その判定がどの道具によるものか、どんな数字を出したのかは、読めた範囲の報道でははっきりしない。それでも発言の構図は明快だ。一方に信頼性の疑わしい機械の判定があり、もう一方に「使っていない」という作家の言葉がある。版元は後者を取った。
Roussel は、版元の役割の範囲についても線を引いていた。
En tant qu'éditeur, ce n'est pas notre rôle d'enquêter sur sa démarche. Nous ne sommes pas des enquêteurs, nous ne sommes pas des journalistes, nous ne sommes pas non plus des juges.
訳: 版元として、作家の書き方を調べるのは私たちの役目ではない。私たちは捜査官でも記者でもなく、裁判官でもない。
この2つの発言は、1つの原則としてまとまっている。版元は書き方を調べない。判断の材料は作家の言葉で、機械の判定はそれをくつがえす力を持たない。つまりこの時点で、ボレアル社はすでに線を「作家が何と言ったか」に引いていたことになる。
10月21日:くつがえったのは「否定」だった
1週間後、同社は声明を出したと報じられている。
De nouveaux éléments, confirmés au cours des derniers jours, indiquent que l'intelligence artificielle a été utilisée dans le processus d'écriture de C'était ça ou mourir
訳: ここ数日で確かめられた新しい材料から、『C'était ça ou mourir』を書く過程で人工知能が使われたことがわかった。
「新しい材料」が何なのかは明かされていない。誰が確かめたのかも、その材料がまた別の機械の判定なのか、下書きや作家本人の説明のような別の種類の証拠なのかも、報道からは分からない。ActuaLitté は、作家が否定を重ねた後で版元が使用を認めたという流れで伝えている。
声明の核心は、続く一文にある。
Cette affirmation est aujourd'hui démentie. Nous ne pouvons pas, dans ces circonstances, poursuivre notre collaboration professionnelle
訳: (AIは使っていないという)その主張は、いまやくつがえった。こうなった以上、仕事上の関係は続けられない。
理由の書き方に注意したい。声明は「AI を使ったから」とは書いていない。「AI を使っていないという主張がくつがえったから」と書いている。何章で使ったのか、下書きなのか推敲なのか、文章の何割に及ぶのか。報道を見るかぎり、どれも示されていない。示されたのは「使った」という事実と、「使っていない」という言葉が偽りになったことだけである。
線は申告に引かれた。それは1週間前の原則の帰結である
一見すると、ボレアル社は1週間で立場を変えたように見える。機械より人を選ぶと言った版元が、人を切ったからだ。しかし論者は、これを変節ではなく、10月14日の原則をそのまま進めた結果と読む。
Roussel が選んだのは「人間の言葉」だった。版元は書き方を調べないと宣言していたので、作家の言葉に頼るほかなかった。その言葉が偽りだと分かれば、頼るものは残らない。だから打ち切りの理由が使った量ではなく否定がくつがえったことになるのは、自然な成り行きである。版元は最初から、AI の使い方の中身を裁く立場をとっていなかった。裁いたのは、作家と版元のあいだの信頼だけだった。
そのため、この件は「AI を使った小説は作家の作品か」という問いには何も答えていない。答えたのは「AI を使ったことを偽った作家と、版元は仕事を続けられるか」という、もっと狭い問いである。論者は、いまの段階ではこの狭い問いにしか確かな答えは出せないと考える。AI を検出する道具の誤りやすさは、Roussel 自身が指摘したとおりだ。また、文章の中身から「どこまでが人の作か」を測る物差しは、出版界のどこにもまだない。確かめられる事実として残るのは、作家が何を言ったかと、それが本当だったかだけである。
有力な反論:結局は機械を信じたのではないか、嘘をつき通せば守られるのか
この見方には、少なくとも3つの強い反論がある。
反論1:「新しい材料」は、また機械の判定かもしれない
中身が明かされていない以上、版元が別の検出の結果に押されて判断を変えた可能性は否定できない。もしそうなら、「機械より人を選ぶ」という原則は1週間で崩れたことになる。この反論はもっともで、ボレアル社は材料の種類を明かすべきだと論者も考える。ただ、声明の論理はそれでも変わらない。版元は、材料が否定をくつがえしたことを打ち切りの理由にしている。機械の数字そのものを理由にはしていない。材料が何であれ、問われたのは言葉と事実の食い違いだった。
反論2:申告に線を引くと、嘘をつき通した者が守られる
これがいちばん重い反論である。申告に頼る仕組みでは、AI を使っても黙っているか否定を貫いて見つからなかった作家は守られ、見つかった作家だけが罰を受ける。正直さを報いるというより、見つかったことを罰する仕組みに見える。論者はこの欠点を認める。それでも、ほかの線と比べる必要がある。機械の判定に線を引けば、使っていない作家が誤った判定で切られる。文章の中身に線を引けば、何が人の作かを誰かが恣意的に決めることになる。申告の線には見逃しが出るが、少なくとも無実の作家を機械が裁くことはない。誤りの向きとして、こちらのほうがまだ耐えられる。
反論3:どれだけ使ったかを示さずに切るのは不公正だ
推敲や下調べに少し使っただけなら、打ち切りは重すぎるという批判もありうる。これも一理ある。ただ、この批判は「どれだけなら許されるか」という基準があることを前提にしている。その基準は、ボレアル社にも業界にもまだない。基準がないところで程度を裁けば、反論2で退けた恣意的な線引きに戻ってしまう。程度を問わずに否定の真偽だけを問うのは、基準がない状態でとれる最も控えめなやり方だと論者は考える。
「使ったなら、言え」が残った規範になる
この件から業界に残るのは、「AI を使うな」という規範ではない。「使ったなら、言え」という規範である。franceinfo などがこの件を追い続けているのは、文学の世界がこの規範を初めて具体的な例で突きつけられたからだろう。
同じ形の線引きは、文学の外でもすでに現れている。既報のとおり、Terence Tao が呼びかけたジーゲル零点の共同作業は、AI をどう使ってもよいが使ったことを明かすよう求めている。AI の助けを借りた数学の結果を集める Hexagon も、すべてを LLM が書いた仕事を受け付ける。どちらも、AI の使用そのものは禁じず、使ったことを明かすかどうかを規範の中心に置いている。分野は違っても、AI の関わりを外から測れない世界では、本人の申告に線を引くしかないのである。
そうであれば、版元が次にすべきことは検出の道具を増やすことではない。申告を求める手続きを契約に書き込むことだ。どの段階で、どんな用途で AI を使ったかを、作家が版元に申告する欄を設ける。使ったと申告した作家をどう扱うかは、その後に版元ごとに決めればよい。ボレアル社は「人の言葉を選ぶ」と言った。その言葉を選び続けるには、偽りを見抜く力よりも、偽りをつかなくて済む仕組みのほうが要る。
なお、本稿は報道に基づいており、ボレアル社の声明の全文、作家側の説明、「新しい材料」の中身といった一次の材料には届いていない。作家側が反論や説明を出せば、評価が変わる可能性がある。




