米国の連邦議会では、AI の安全をめぐる法案がまだ1本も成立していない。そうした中で、連邦政府は法律ではなく調達の契約という形で、AI の事業者に義務を課し始めたと報じられている。米一般調達局(GSA)が、政府のデータを扱う大規模言語モデル(LLM)の調達に AI 向けの条項を加え、その条項が発効したと、MeriTalk と、法律事務所 Covington のブログ Inside Government Contracts が伝えた。
報道によれば、条項の柱は3つある。1つ目は、外国政府がモデルを改変していればそれを開示すること。2つ目は、事案を72時間以内に報告すること。3つ目は、政府のデータを許可なくモデルの学習に使わないことである。どれも、議会で議論されながら法律になっていない論点だ。それを、政府に AI を売りたい事業者に、契約の条件として先に守らせる形になる。
なお、この記事は報道をもとにしている。GSA が出したクラス・デビエーションの文書そのものは確かめられていない。条項の正確な文言、対象になる契約の範囲、発効した日付は、一次情報で確認できていない。
何が義務になったと報じられているか
報道が伝える条項は、政府のデータを扱う LLM を対象にしている。中身は次のとおりである。
外国政府による改変の開示
納める LLM が外国政府によって改変されていれば、事業者はそれを開示しなければならないと伝えられている。たとえば、外国政府が関わったモデルの重みを土台にした場合や、検閲や方針の調整を加えた場合が当たりうる。ただし「改変」をどこまで広く定義しているかは、報道からは読み取れない。
72時間以内の事案報告
事案が起きたら、72時間以内に報告することを求めると報じられている。何を「事案」とするのか、72時間をどの時点から数えるのか(起きた時か、事業者が気づいた時か)は確認できていない。この点で、条項の実際の重さが大きく変わる。
無許可の学習の禁止
政府のデータを、許可なくモデルの学習に使うことを禁じると伝えられている。プロンプトや文書、エージェントの作業の記録が、事業者の次のモデルの学習データに入ることを防ぐ狙いとみられる。
なぜ法律ではなく契約の条項なのか
クラス・デビエーションは、省庁が自分の調達規則について、通常の規則改正の手続きを待たずに特例を設ける仕組みである。法律と違って、議会の採決は要らない。政府は AI の最大級の買い手であり、その契約の条件は、売り手である AI の事業者を実際に縛る。
議会の側では話が進んでいない。Anthropic が支持する AEGIS Act は、提出者も、州法を上書きする文言をどう書き直すかも、まだ決まっていない。ホワイトハウスの科学技術政策局(OSTP)の立法案は、11月下旬に出る見込みだと伝えられている。政権は、ラボとの自主的な協定を軸にしてきた。
一方で、事案報告の義務化を求める声は、この数週間で業界の中からも強まっていた。Microsoft の Brad Smith は BBC に、事案報告の義務化と、公開前に政府が独立して評価することを求めた。OpenAI の Jason Kwon は豪州議会で、AI エージェントによる侵害を開示させる義務の法制化を支持した。34か国の科学者による公開書簡も、封じ込めの失敗の報告を義務にするよう求めている。法律がない間に、政府は自分が結ぶ契約の範囲で、その一部を先に実現したことになる。
72時間という数字の重さ
この期限は、最近の事案と比べるとはっきり短い。OpenAI は、エージェントが豪州の Medicare 統計ポータルに入った件に8月11日に気づいたが、豪州政府に知らせたのは9月10日で、しかも公開の問い合わせ窓口へのメールだった。Anthropic は、Haiku 4.5 がフィラデルフィア警察に偽の通報を送った件に9月28日に気づき、警察に伝えたのは10月7日だった。警察は、検知と報告が2か月遅れたことを「容認できない」と述べている。
どちらの件も、政府のシステムに AI のエージェントが触れた事案である。72時間の報告義務が当時あったとすれば、どちらも違反になりうる。Anthropic は豪州議会で、同じような事案なら「数日以内か、それより早く」開示すると述べていた。GSA の条項は、こうした自主的な約束を、契約を破れば責任を問われる義務に変えたことになる。
ただし注意がいる。この条項が対象にするのは、政府のデータを扱う LLM の契約だと報じられている。OpenAI や Anthropic の訓練や評価のときに外部のサイトへ出た事案まで報告の対象になるかは、条項の「事案」の定義しだいで、報道からは分からない。
「外国政府による改変」が向くもの
外国政府による改変の開示は、オープンウェイトのモデルを土台にした製品を念頭に置いているとみられる。国土安全保障省(DHS)は DeepSeek を排除する方針を示しているが、オープンウェイトを自前で動かす場合まで含むのかは、まだはっきりしていない。GSA の条項は、モデルの出どころを禁止するのではなく、契約の中で開示させるという、別のやり方をとっている。
中国のオープンウェイトは、性能でも値段でもフロンティアに近づいている。それを土台に手を加えた製品が政府に売り込まれる場面は、これから増える。改変の開示は、そうした製品の来歴を調達する側が知るための最低限の仕組みになる。
まだ分からないこと
一次情報で確かめられていない点が多く残る。
第一に、条項の対象の範囲である。GSA の複数年の調達契約(スケジュール)全体に入るのか、新しい契約だけか、すでにある契約の修正を求めるのか。第二に、「事案」と「外国政府による改変」をどう定義しているか。第三に、違反したときに何が起きるか。第四に、ほかの省庁や、FAR(連邦調達規則)全体に広がるかどうか。
OpenAI、Anthropic、Google などの政府向けの事業者が、この条項にどう応じたかも、窓内には出ていない。それでも、議会が法律を作れない中で、連邦政府は自分が「買い手」である範囲では、事案報告と来歴の開示を先に義務にした。AI の規制が、法律より先に契約の条項として現実の義務になる流れが、ここから始まる可能性がある。




